PROFILE

幼少期からのプロフィール






1981年(昭和56年)12月6日 鴨方町深田生まれ(A型)

ホテルマンの父と、実家の精肉店で働く母の元3人兄弟の長男として育つ。

1994年(平成6年)鴨方町立鴨方東小学校 卒業

在学中は、毎年学級委員に選ばれる。
小学校5年生から始めたソフトボールでは不器用ながらも一生懸命な姿勢が 認められて副キャプテンを任せられる。
6年生の時には運動会の白組応援団長を務めた。 一生懸命に声を張りあげ過ぎ、翌日からしばらく喉がガラガラに。

1997年(平成9年)鴨方町立鴨方中学校 卒業

地元の多くの友達との関係は、この歳になってより大切に感じられる。
部活では野球部に所属しセカンド補欠を全うした。
最後までレギュラーにはなれなかったが、最後まで諦めずに挑戦する気持ちや、 支える人がいて、チームが成り立つことをベンチの中で学んだ。 中学生活最後の打席は、送りバントをきっちり決めた(笑)



1997年(平成9年) 岡山県立倉敷商業高校 入学

高校では電車通学に憧れ、少し離れた倉敷の学校を選んだ。 当時の倉商は資格試験に力を入れており簿記検定から、商業英語、プログラミングに、電卓検定など多種多様な資格を取得する事が出来た。
2000年(平成12年)横浜市立横浜商業高校 卒業

父親の仕事の都合で神奈川県の小田原市に引っ越す。
日本で一番最初に出来た商業高校という伝統に惹かれ、横浜市立横浜商業に編入。 毎朝5時に家を出る、片道2時間半の通学時間に苦労した。 3年生の夏からは、学校の近くにアパートを借りて初めての一人暮らしをさせて貰う。
大都市でのひとり暮らしや、育った環境が大きく違うクラスメイトと 仲良くなるなど、学校の授業以上に、環境の変化の中で生きていく術を学べた高校生活だった。

2002年(平成14年)拓殖大学北海道短期大学 卒業

国際色豊かな街、横浜で高校生活を過ごした事がきっかけとなり、 世界と日本の関わりに興味が湧き、国際政治経済を学べる大学を片っ端から受験した。 が、ことごとく失敗。
失意の中進路を模索していたところ拓殖大学から『本校には合格点が足りなかったが 北海道の短大で学ぶことなら出来る』との提案を受け進路を決める。 マイナス30℃にもなるような極寒の地ではあったが、沖縄から北海道まで多くの温かい仲間と出会えた。

北海道という大きな大地を自分の目で見たかったが、お金が無かったためヒッチハイクを試みる。 ありがたい事に、親切な方々に助けてもらえ2年間で北海道~東北を巡る事ができた。

学校では国際政治に興味があることを先生に伝えたところ、国連広報センターを紹介いただき 春休みのインターンとして国際政治の現場に触れる。
多国籍の方々と触れ合ったことで『日本人としての自覚を持たなければならない』と 思うと同時に『日本のことをもっと知らなければ』と強く思う。

2年生の時には大学祭実行委員会副委員長として学祭を盛り上げた。 今でも数年に一度は沖縄や北海道に呼ばれて出向いている


2004年(平成16年)拓殖大学政経学部 卒業
3年次に編入学し文京区の茗荷谷キャンパスで2年間を過ごす。
編入者は単位の持ち込みが限定されていたため3年4年とみっちり授業を受けた。

インターネットで偶然見つけた「若者と政治を繋ぐ」というキャチフレーズに惹かれNPOが実施する議員インターンシッププログラムで初めての国会議事堂へ。 衛視さんに案内していただいた本会議場の凛とした空気感を今でも覚えている。数年後にそこで働くことになるとは想像もしていなかった。

国連広報センター(UNIC)インターン
参議院議員 江田五月 国会事務所インターン
トランス・コスモス株式会社(IT関連企業)
衆議院議員 柚木道義 秘書
参議院議員 森本真治 秘書